戦後の日本車の歴史に学ぶ!世界的に売れるにはどうすべきか?

雑記

どうも!世界的に売れるにはどうすればいいのか?

これって永遠のテーマですよね!

自分の作ったゲームも世界的に売れてほしいものです。

あぁ神様!本当にマジで頼みます!お願いだから売れてください!!

そんなことを日々思いながら売れるためになんでもしようと

考えているプライドもクソもない私です。

そんな超底辺な私はどうすれば世界的に売れるようになるのか

過去の歴史を参考に考えてみようと思いました!

歴史は繰り返す、ということ

まず歴史は繰り返す、という事実があります。

未来を予測している賢い人たちは

基本的に歴史を参考にしているようです。

例えば直近で言うとコロナの感染者推移があるかと思います。

このままの人出で行ったらこんな大変なことになっちゃいますよ

っていう予測がたまにニュースで流れていますよね。

あれって結局去年の日本の状況から予測したり

外国の過去の実測から予測したりしています。

つまり過去の歴史を参考に予測しているわけです。


私が「歴史は繰り返す」という話で面白かったのがYoutubeです

テレビもYoutubeも企業からの広告費で利益を出していますが

近年、Youtubeの広告費がテレビの広告費を抜いたらしいです。

ということで芸能人がどんどんYoutubeに流れていっている訳ですが

「Youtubeなんかやらない」とYoutubeを拒み続ける芸能人の方もいるようです。

という現在テレビに出ている芸能人の反応が昔の歴史を繰り返しているらしいです。

つまり同じようなことが昔に起こっていたってことなんですが

それがテレビが出始めたころの映画俳優なんだそうです。


テレビが無いころは我々庶民は映画を観ていたそうです。

映画俳優を観たければ映画を観るしかないわけですね。

しかしテレビの出現で状況が変わります。

電気代だけ払えば家で見れるお手軽なテレビに映る芸能人が

映画俳優の人気をある時から超えてしまったんだそうです。

それでも「テレビになんか絶対出ない」って言っていた映画俳優の方も

いたんだそうです。

確かに今のYoutubeの流れに似ていますよね!これが面白いと思いました。

ここから学べることはどんなに魅力的な人であろうとも

時代の流れには逆らえないんだなーってことと

無駄なプライドは捨てないといけないんだなーってことですね。

つまりプライドもクソもない冒頭の私は間違っていなかったわけです!おぉ、さすが私だ…。

ということでどうすれば世界的に売れるのかっていうのを

考えるにしても過去の歴史を学べばいいんじゃないかという結論に至りました。

前置きが非常に長くなりましたが世界的に日本が有名になったものの歴史を学ぼうというお話です!

1970年代の日本車に学ぶ

まず世界的に有名になった日本のモノってなに?って考えて

一番に思いついたのが日本車でした。

なぜ日本車は世界的に有名になったのでしょうか。

ザックリそこについて調べてみました。

ここでは主に1970年代~80年代にかけての日本車の歴史について

まとめていきます。

戦後初期の日本車

そもそも戦後初期の日本の自動車産業は無いに等しい状態でした。

なぜかというとGHQの指示により自動車の生産が禁止されていたからなんです。

禁止されてるんじゃどうしようもないですよね。

そんな自動車の生産制限が解除されたのが1949年のことだそうです。


ここからやっと日本の自動車生産がスタートします。

他の国は普通に生産を続けていた訳ですから

他国と日本の技術力は雲泥の差が出ていたはずですよね。

ということで当時車を作って儲けようと考えた日本人は

一体どうしたかというとノックダウン生産ということを始めたそうです

ノックダウン生産とはプラモデルのイメージで

外国から部品だけ輸入して組み立てだけを国内で行い

出来上がったものを売るというスタイルだそうです。


確かに組み立てるだけであればそんなにスキルの差は出なさそうですよね。

そんな中、トヨタだけは独自路線をとったんだそうです。

それが純国産乗用車の開発です。GHQの自動車生産制限解除の6年後になる

1955年に初めて純国産乗用車である初代クラウンが誕生したそうです。

その後純国産乗用車を作る流れは加速していきました。

1970年代以降の日本車の歴史

自動車の普及に伴い1970年代に社会的な問題が2つ起きました。

それが

・大気汚染

・オイルショック

です。


世界中で自動車が普及することにより、その燃料であるガソリンの需要も

高まっていきました。


ガソリンの需要が高まるということはガソリンを日々世界中で大量に

燃やし続けるということになります。

となると当然排気ガスの量も大量になっていきました。

この排気ガスにより問題になったのが大気汚染です。

社会的に問題になったため1970年にアメリカでマスキー法というのが制定されました。

このマスキー法を簡単に説明すると

「車は排気ガス出しすぎだから1台当たりの排気ガスの排出量を今の10分の1にしろ」

ってことだそうです。

これに対し欧米の自動車メーカーは

「そんなの無茶苦茶だ!達成不可能だ!!」としてマスキー法をこぞって拒否したそうです。

確かにかなりハードルの高い制限に思えるので拒否するのも分かる気がしますね。

またそれとは別で1973年にオイルショックが起こりました。

中東の産油国が原油価格を70%引き上げたんだそうです。

これによりガソリンが今までより高価なものになってしまいました。

ということでガソリンをあまり使わずに自動車を動かしつつ、

排気ガスをあまり出さない仕組みが必要になったんです。

そんな中でホンダはマスキー法に適合するCVCCエンジンというものを発表しました。

つまり排出される排気ガスの量を極めて少なくしたエンジンを開発したってことですね。

当時CVCCエンジンは世界で唯一マスキー法の規制をクリアするエンジンだったんだそうです。

マスキー法に適合したホンダの車はアメリカに輸出され、ガソリンの値段が

高い時代に低燃費であったため人気になったんだそうです。

まとめ

ということで今回は日本車の一部歴史についてまとめてみました。

トヨタは他がノックダウン生産をしている中、純国産乗用車を開発し

ホンダは達成不可能だと言われていたマスキー法を達成するエンジンを開発しました。

どちらの企業も当時無謀だと思われていた事にチャレンジして達成していますね。

ということでここから言えることは私が個人として世界的に売れるには

個人では達成不可能だと思われるようなゲームを作るしかなさそうです!

一般的にエターナるような企画を本当に完成させちゃうってことですね。

いやー、世界を狙うのは当然ながら厳しいですね!

Image by Free-Photos from Pixabay
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