偉人から学ぶ!任天堂社長 山内博の実績

雑記

任天堂を急成長させた人物とは?

皆さんご存じの任天堂は
新しいゲーム機を世に出せば百発百中し
品薄確定大ヒットを続けていますよね。

どうやってこんなことが出来る企業にまでなったのか
未だヒット作を1つも出せていない私は
すごい気になったので調べてみました。

参考先はおなじみwikipediaです。

そもそも山内博って誰?

山内博(やまうちひろし)は任天堂の三代目の社長です。
社長在任期間は1949年-2002年。

任天堂が大企業へ成長していく一番大事な期間に
社長だった方ですね。

この方がどうやって会社の方針を決めていったのか
そこを深堀りしていこうと思います。

株式会社丸福時代

Photo by Sorasak on Unsplash

花札・トランプを販売する会社として
山内博の祖父が設立した株式会社丸福で
設立時に山内博は取締役として就任しました。


いわゆる家族経営みたいなものですよね。


しかし就任して2年後に経営者の祖父が病気で倒れたため
急遽、株式会社丸福の社長に就任します。

この株式会社丸福が後の任天堂になります。

社長就任後まず最初に山内は社内の労働争議に苦労したそうで
これで山内は身体を壊しかけたとのことです。
1955年に一旦争議は決着します。

(ちなみに労働争議とは働きやすさや給料などを巡って
経営者と争うようなことを言います。)


そんなことを経験しながら1953年日本初のプラスチック製トランプを開発します。

今まで紙で作っていたトランプを初めてプラスチック製にしたんです。
紙に比べたら高くて最初は売り悩んだそうですが、その耐久性が
評価されてからは結構売れたそうです。


(余談ですがトランプは日本以外の国では「プレイングカード(Playing Card)
と呼ぶそうです。Trumpを日本語に直すと「切り札」という意味になり
カードゲームをしているときにTrumpという言葉を外国人がたくさん使ったことで
カードの名前をトランプだと日本人が誤解したのが由来じゃないかとのことです)


またそれだけではなく1959年にディズニートランプを発売します。
数字とちょっとした柄しかなかったトランプに人気のあるキャラクターを描いたんですね。


なんと山内は直にロイ・ディズニー(ウォルト・ディズニーの兄)に会いに行き
日本でディズニーキャラクターを使用する版権を獲得したんだそうです。

(版権とは著作物を複製・販売する独占権とのことです)


1950年代は既にディズニーが大成功している時代ですから
ここに目を付けるというのもさすがですよね。


ちなみにディズニーの創業者ウォルト・ディズニーの成功と挫折については
以下記事にまとめたのでそちらもよければご覧ください。

山内はなぜトランプを売ろうとしたのか?

それ以前、花札、トランプは大人の男がする博打の道具
としてしか使われていなかったそうなんです。

それを子供向けに販売しようという考えにシフトしたわけですね。
発想の転換です。

今となっては子供がトランプするとか普通に
なっていますが当時それを思いついて実際に行動したのは
すごかったんだろうと思います。


更にトランプには説明書(遊び方)をつけるようにしたそうです。

確かにトランプって1~13が書かれたカードが4束あるだけですからね…。

何にも知らない子供からしたらどうやって遊べばいいんだよって話ですよね。
山内の意図通り任天堂のトランプは爆発的に売れることになりました

迷走期

Photo by Christian on Unsplash

1958年にアメリカ最大手のトランプ会社に視察に行った際
あまりにも会社の規模が小さかったことに衝撃を受けた山内は
トランプ以外で会社経営しなくてはいけないと考えます。

視察によりトランプがそんなに稼げるものではないという事に
気付いてしまったんですね。


とはいえその当時、日本では現在進行形で稼げているトランプという商品は
先がそんなにないという事にいち早く気付けたということなのですごいですよね。


これにより山内は色々な事業に手を出し始めます。

まずタクシー会社の経営、次に食品会社を設立。

その後も色々な事業に手を出したようなのですが
ノウハウ不足によりことごとく失敗したようです。

それに合わさってトランプブームがひと段落したことにより
任天堂は倒産危機に直面します。

これにより色々手を出していた事業から手を引きました。

心機一転!新たなおもちゃを売り出す

Photo by Christian on Unsplash

倒産危機に陥っている最中、ある任天堂社員さんが暇つぶしに
作っていた遊び道具に目を付け山内はこの遊び道具を
世に出すことにします。

そして1966年にホントにその遊び道具を
ウルトラハンドという名前の商品として開発し
世に送り出します。
これがなんと大ヒットを記録!


普通なら社員さんに対し暇つぶししてんじゃねーよって
話になりそうですが…笑
これを商品にしちゃおうって発想するのもすごいですね


更にウルトラハンドの開発者をおもちゃ商品の開発主任として任命し
色々なおもちゃを開発していきます。

売れるものも売れないものもあったようですが
その中で開発された「光線銃」というヒット商品から考案された
「レーザークレー射撃場」という射撃場を全国展開しようとします。


しかし第一次オイルショックが起きたことで
日本の経済が悪くなり夢は実現できず
むしろ再び倒産危機に直面することになるのです。

ゲーム業界へ進出!

Photo by Ravi Palwe on Unsplash

当時はスペースインベーダーというアーケードゲームが
大ヒットしていたため任天堂もこの流れに乗り
同様のゲームを開発します。


当時スペースインベーダーなどは喫茶店に置いてあり
ゲームはお店に行ってやるものだったのですが
任天堂は家庭でも出来るゲームというものも開発し出します。


そして1980年、携帯型ゲーム機「ゲーム&ウォッチ」が大ヒット!
4800万台以上を販売し売上が順調に伸びます。



これにより今までの負債を完全返済し更には莫大な利益を
生み出しました。

この成功により任天堂は家庭用テレビゲームを開発することに
専念します。

ゲーム&ウォッチ以降の任天堂

ゲーム&ウォッチ以降はもはや成功の連発です。

1983年7月15日「ファミリーコンピューター」を発売。



1985年9月13日ファミリーコンピューター用ゲームソフト「スーパーマリオブラザーズ」を発売。
※こちらは世界で最も売り上げたゲームソフトとしてギネス記録に認定されました。

1989年4月21日携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」を発売。

1990年11月21日「スーパーファミコン」を発売。


1996年6月23日「NINTENDO64」を発売。

2001年3月21日「ゲームボーイアドバンス」を発売

2001年9月14日「ニンテンドーゲームキューブ」を発売


こうやって書き出してみると大ヒット商品ばかり作っていて
もはや凄すぎて参考にできません…笑


偉人から学ぼうと思ったのですが当然ながら雲の上の存在でした。
そして山内博は2002年に社長の座を譲ります。

まとめ

いかがでしたでしょうか…
ちょっと後半凄すぎて私の頭の中はパンクして
参考になりませんでした 笑


しかし最初のトランプ以降ゲーム&ウォッチまでは
結構苦戦していましたね。


偉大な経営者も最初は苦戦していたという事実が
分かっただけでちょっと安心しました 笑

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