松下幸之助とは?
パナソニックという会社の創立者である松下幸之助を
ご存じの方は多いのではないでしょうか?
なにがすごいというとあの大企業を一代で作ってしまった
というところです。
以前ご紹介した任天堂三代目社長山内博
も当然ながらすごいお方ですが祖父の会社を引き継いだところからの
スタートだったので、そう考えると一代で大企業を作っちゃった
松下幸之助ってすごいですよね。
ちなみに任天堂を急成長させ大企業にした三代目社長 山内博については以下をご覧ください。
そんな松下幸之助が0から会社を創立し
ある程度の成功を手にするところまでの部分に
ついてのみをフォーカスしてまとめたものを以下に記載します。
参照先はPanasonicホームページ 松下幸之助の生涯より
最も分かりやすい松下幸之助のすごいところ
まず松下幸之助という人物自体を知らない方に
分かりやすい凄さというのをお伝えします。
この方のいわば名言みたいなものをまとめた
「道をひらく」という本があるんです。
この本の初版発行は1968年5月1日ともう50年以上も前なのですが
今だにビジネス書としてベストセラーを続けているんです。
そして2015年に累計520万部を突破しています。
本って1万部売れればすごいらしいのでこの520万部って
訳の分からないすごさですよね。
いい本というのは何年経っても売れ続ける
と言われているので、この「道をひらく」が
名著であるのは言うまでもないかと思います。
私も一度読ませていただきましたが名言の連発です 笑
この本は1ページ単位ぐらいで完結する話がたくさんあるような
構成になっているので本をあまり読まない方でも気軽に読み始めれる
ようになっています。
これもベストセラーの要因なのではないでしょうか。
まだ読んだことない方は一度読んでみてはいかがでしょうか。
松下幸之助の基本情報
1894年11月27日誕生
1989年04月27日94歳没
父:松下政楠
母:松下とく枝
松下家の三男として出生する。
幼少期
1899年頃に父が商売で失敗し破産したため
一家で和歌山に引っ越し下駄屋を始めますが
上手くいかずすぐに店を畳みます。
そんなこともあり幸之助は小学校4年で中退し、
9歳で火鉢を売るお店に行き雑用などの仕事をすることになります。
さらに子供ながらその後も自転車屋で仕事をしています。
大阪電灯社に入社
大阪市に導入された路面電車をみて感動した幸之助は電気に関わる仕事を志し
現在の関西電力である大阪電灯社に16歳(1910年頃)で入社しました。
そのころの電球の取り外しは専門知識が無いとできないような危険な作業で
あったため、幸之助は素人でも安全・簡単に電球を取り外すことができる電球用のソケット
というものを考案します。
電線→電球という従来の方法では取り換え時に
電線に触れると感電とかしそうで危ない!
そこで
電線→ソケット→電球という形にして
直接電線に触れずに電球を交換できる機器あれば便利じゃない!?
ということですね。ごもっともです。
また幸之助は仕事の飲み込みも速かったようで
どんどん昇格していったようです。
そして仕事の合間に以前から考えていたソケットの開発を始め
1個の試作品を作成しました。
これを作るのに結構苦労し、またこの試作品の出来に自信もあったようなのですが
上司に見せたところ「使い物にならない」と言われ悔しい思いをしたようです。
また身体が弱かった幸之助は1914年に肺結核にかかってしまいました。
独立
肺結核が悪化しだしたことでいつまで身体がもつか分からないという不安と
父親から自分で稼げと言われたことが心に残っていたため
1917年に大阪電灯を依願退職し独立してソケットの開発を始めます。
作り方が全く分からないところから始めて半年ほどで
やっとソケットが完成したので早速販売店に売り込みにいったようですが
どこの店も「売れる見込みがない」と判断され、ソケットはほとんど売れなかったそうです。
しかしこの状況でも幸之助はあきらめることなくソケットの改良を行っていました。
扇風機の仕事を受注
ソケットが全く売れずお金が無くなっていき生活も困窮している最中
扇風機の部品を1000枚作る仕事を受注します。
これはやるしかないということで
部品を全力で制作することにしました。
そして少人数での作業だったのですがなんとか完納することができたとのことです。
更にはこの報酬が結構よかったようで
貧しい生活からなんとか脱することが出来たようです。
また制作した部品の品質が評価されたようで更に2000枚の
注文が入り売上を伸ばしていきました。
やっと会社を創立
その後も扇風機の部品の注文が継続的に続いたこともあり
1918年3月7日ここでやっと松下電機器具製作所という会社を創立しました。
扇風機の部品も作り続け売上を伸ばしていき
それとは別に会社を創立して初めて作った電気器具「アタッチメントプラグ」は
良く売れたそうで、ここからうなぎのぼりで売上を伸ばしていったようです
まとめ
いかがでしたでしょうか。
この方は自分のやりたい事に没頭して
生活が困窮しても諦めずにやり続けたことで
成功を手に入れたという感じですね。
やはり諦めずに続けることが大事だということが
分かる話でした。