日本に禁酒法が出来たらどうなるのか?考察してみた

雑記

東京では公共の場で飲酒するのは禁止になってきている

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どうも!最近東京ではお店や路上での飲酒が

全面的に禁止(自粛)になってきているらしいですね。


飲食店での酒類提供禁止、路上での飲酒も禁止、公共の場での飲酒も禁止。


つまり自宅以外で飲酒することは基本的に難しくなっています。


別に強制じゃないみたいですけどここまでされて飲もうと思うかっていうと思わないですよね。

私は元々自宅で飲んでいるので別に影響はないのですが

遊びたい盛りの若い方たちが可哀想だなって思いました…。

大学生時代なんて友達みんなで飲んで喋って飯食って

っていうのが一番楽しかった思い出があるので

今の学生さんは本当にツラいと思います。

というのと、この禁酒は人の動きを規制するために

実施されているようですよね。

なんかどんどん規制が強くなっていっているのでそのうち禁酒法みたいなのが

出来るんじゃないか?
ってふと思いました。

で実際に出来たらどうなるのか?っていうのを過去の歴史から考えてみたいと思います!

ではいきましょー!

ウィスキーを密造していた時代の話

ちょっと今回の「酒を飲む」という話とズレている気がしますが

実はウィスキーを密造していたっていう時代があるんです。

以下記事で初心者用にウィスキーの情報を記載しているのですが

この中でスコッチの歴史について触れています。

スコッチの生産地であるスコットランドは1707年にイングランドと

合併することになりスコットランドの蒸留所はイングランドから

高額な課税を行われることになりました。


これによりスコットランドの大手のウィスキー蒸留所は廃業したそうです。

しかし酒造業者は山奥に逃れてウィスキーを密造するようになりました。

そして現代でもスコッチの生産は続いています。

ここから言えることは需要があれば国がどんなに酒造業者を潰そうとしても

潰れないということです。

イングランドがどんなに厳しい規制をしようが

需要があれば密造されてしまうってことですね。

どんなに規制してもスコッチを飲みたいっていう市民がいれば

密造してまでスコッチを作ろうっていう人が現れ続けるということになります。

ロシアでの禁酒令

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ロシアでは1985年に酒類の生産制限・価格引き上げを行いました。

これを行った理由としては当時は勤務時間中の飲酒が横行しており

生産性が低くなってしまったこと、過度の飲酒によって当時の平均寿命が

著しく低かったことが挙げられるようです。


当時のゴルバチョフ書記長は「しらふが正常」を合言葉に禁酒運動を展開した

ようですが庶民には極めて不評だったそうです。


このため国民はウォッカを家で密造するようになり

ウォッカの製造に必要な大量の砂糖が品薄になったんだそうです。

結果として酒税収入が激減しただけになりソビエト連邦の崩壊のきっかけの

一つになってしまったそうです。

やはりロシアでも国が酒を規制しても密造するようになったということでした。

アメリカでの禁酒法

アメリカではロシアと違い一度は禁酒法が成功したようです。

アメリカでの禁酒法の歴史は結構古く

最初にアメリカで禁酒法が出来たのはなんと1658年のことなんだそうです。


当時マサチューセッツ州法廷が度数の高い酒を不法としました。

なぜ不法にしたかというと「七つの死に至る罪」の「貪食」に

該当するからということらしいです。

「七つの死に至る罪」は人として良くない欲望・感情を指す言葉で

そのなかの「貪食」、つまり食べ過ぎ・飲みすぎに酒が該当するということです。

ただし酒自体が良くないという訳でなく酒を飲みすぎた

その人自身が罰則の対象になるという考えでした。

ここらへんの考えが私的に結構難しかったです。

アルコール自体は神からの授かり物であり、その授かり物を乱用した

個人の軽率な行動が罰則の対象になるらしいですね。

ということで度数の高い酒を不法としたのはそういった宗教的な背景があるみたいです。


度数の高い酒、つまりアルコールの過剰摂取が不法ということでした。


そこから時代が流れ1784年にベンジャミン・ラッシュというお医者さんが

アルコールの過剰摂取は健康によくないと主張しました。

それまでは宗教的な意味合いで酒の過剰摂取はよくないとされていたのですが

ここで健康的によくないという意見が初めて出たわけです。


この考えが全国的に受け入れられ禁酒協会が設立され8つの州に広がりました。


1800年代に入ると禁酒の動きは更に強くなっていき

アルコール飲料自体を禁止する州も出てきたのです。

禁酒法支持者は「ドライ」と呼ばれ反禁酒法支持者は「ウェット」と呼ばれるようになりました。

1900年代に入ると禁酒の運動は更に広がり政治にも関与してきます。

1916年の大統領選挙での候補者はあえて禁酒法問題に関わらないようにしたんだそうです。

どちらかの考えに偏(かたよ)ってしまうと逆の派閥の支持者を失うことになってしまうためです。

それほど強まった禁酒の考えが全国的にどんどん広まっていき

1920年、ついに米国全土での禁酒法が施行されました。

0.5%以上のアルコールを含有しているものが法規制の対象となったそうです。


米国全土での禁酒時代が始まりますが法をすり抜ける人が現れます。

当然ですが禁酒法はアメリカ国内のみで適用される法ですので

アルコールを飲むために国境を超える人が出てきたんです。

そのためアメリカと接しているカナダ、メキシコ、さらにはキューバの

蒸留所と醸造所はかなり栄えたそうです。


東京でお店での酒の提供の自粛をお願いしたら路上で酒を飲む人が現れたっていうのと

なんか似てますよね。


アメリカの周りの国の蒸留所と醸造所で莫大な金が動いていると分かったことで

動き出したのがギャングです。


有名なアル・カポネなどのギャングの多くが当時違法なアルコールの売り上げを通して

何百万ドルもの大金を稼いだそうです。


これによりギャングと違法なアルコールを取り締まる連邦捜査局との対立が深まります。

結果としてアルコールに関連した犯罪や銃撃戦により2千人以上の市民、ギャング、禁酒局捜査官

が死亡したそうです。


こういったことが続いたことにより禁酒法に対する反感が大都市でも高まっていきました。

そしてついに1933年に4%のアルコールを含むビールと軽いワインの

製造・販売が許可されるようになりました。


1920年から始まった米国全土での禁酒法は約13年で終了したわけです。

禁酒法を開始したことによりアルコールに関連した犯罪が

激増してしまったと捉えることができますね。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

スコットランドではどんなに規制してもウィスキーを密造する人が現れていますし

ロシアでは禁酒令を出したことにより逆に国の首を絞める結果になっていますし

アメリカでは禁酒法を出したことにより反社会勢力に資金が流れる結果になっています。

国が禁酒を国民に強いたことにより犯罪が横行する、つまり国に対する反感が増す結果になる

ということを歴史が証明してくれています。

日本はどうなるんでしょうか。今後に注目ですね。

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