意外と知らないウォルト・ディズニーの半生について
世界最大級のエンターテイメント会社ディズニー・エンタープライゼズ・インクの
創業者であるウォルト・ディズニーは誰もが知っているかと思いますが
そのウォルト・ディズニーの半生については知らない方も多いのではないでしょうか。
正直私は今まで知りませんでしたしディズニーのちゃんとした会社名が
ディズニー・エンタープライゼズ・インクということも知りませんでした…。
そのディズニー・エンタープライゼズ・インクをここまでの大企業へ成長させた
創業者はどんな半生を送ってきて、どうやってここまでの成功を収めたのか?
気になったので調べてまとめてみました。
参考先は皆さんご存じウィキペディアです。
ウィキペディアはかなり色々な事が詳しく書いてあるので
以下では私が知りたかったウォルト・ディズニーの成功・挫折に
関係あると思われる部分だけを抜粋してまとめました。
ウォルト・ディズニーの基本情報
父親:イライアス・ディズニー
母親:フローラ・コール
ディズニー家の4番目の子として生まれる。
1901年12月5日誕生
1966年12月15日没
少年期(絵を描き始める)
1908年頃
当時6,7歳だったウォルトは
絵を描くことに興味をもち
自分の描いた絵を近所の人たちに売っていたようです。
絵を描く仕事をするという夢は既にこの頃には
あったのかもしれませんね。
高校生の頃(アルバイトと絵を学ぶ日々)
地元の高校に通いながら専門学校の夜間部コースで
絵を学びだします。
また同時に新聞社で新聞配達のアルバイトを始めました。
こちらは早朝と夕方に2度新聞を配達するというハードっぷりです。
そのため昼間の学校では成績は悪かったそうです…。
第一次世界大戦勃発(全てを捨て陸軍へ)
そんな中、第一次世界大戦が勃発します。
当時16歳だったウォルト・ディズニーは愛国心が強く
高校も辞め絵を学ぶことも捨てて陸軍に志願しました。
そして約1年間ほど衛生兵として服役しています。
初めての就職(新聞社で漫画書き)
終戦後アメリカに帰国したディズニーは
自身で仕事を見つけるために単身でカンザスシティーへ赴きます。
絵を描くことが好きだったウォルト・ディズニーは
まず新聞社で漫画を描く仕事を請け負うのですが
新人だったため仕事の依頼はあまりなかったようで、
全然稼げず日々の生活に困るほどだったそうです。
次の仕事(広告デザイン)
そんな中、兄のロイの紹介でアート・スタジオという会社で
広告デザインの仕事を行うことになります。
これで食いつなぐことができたウォルト・ディズニーですが
それも束の間、翌年アート・スタジオから契約更新を打ち切られ失業します。
初めての起業
失業したウォルト・ディズニーはアート・スタジオで
仲良くなったアイワークスという人と
デザイン会社「ウォルト・アイワークス・カンパニー」を創立します。
しかし創立早々にウォルトはカンザスフィルム社という会社にアニメーターとして
雇用されたためウォルト・アイワークス・カンパニーはすぐに倒産しました。
3つめの就職先カンザスフィルム社(アニメに興味をもつ)
カンザスフィルム社で短編アニメの作画を担当する中で
アニメへの興味が沸いてきたようで会社の仕事で作画をしつつも、
プライベートでもアニメーション制作に没頭します。
個人事務所を設立
1920年に会社から独立し個人事務所を設立します。
フリーランスとしてアニメーション制作の仕事を募集し
初めてのオリジナルアニメ作品「ニューマン劇場のお笑い漫画」を制作しました。
この作品の質が高かったようで、良い評価を得てアニメ制作の仕事を
順調に受注していき事業を拡大していきます。
しかし制作に没頭しすぎたためか資金のやりくりが
出来なくなり結果として個人事務所は倒産してしまいます。
事務的な作業が全く出来ていなかったようですね。
ディズニー社を設立(本格始動へ)
カンザスフィルム社時代に兄のロイと共に
プライベートで制作していた「アリスの不思議の国」
の続編を販売する「ディズニー・ブラザーズ社」を設立。
ここからアニメシリーズを制作しはじめ、アニメ制作会社となっていきます。
成功と裏切り
1927年に知人の紹介によりユニバーサル・ピクチャーズ
と繋がりをもち自社キャラクター「オズワルト」を誕生させます。
このオズワルトを主人公にしたアニメをユニバーサル配給で制作。
これが大ヒットしたこともあり、次々と友人を
会社に誘いディズニー社は急成長していきます。
しかし、1928年ユニバーサル・ピクチャーズとの契約料の取引時、
ユニバーサル社とディズニー社を繋がらせた
チャールズ・B・ミンツという人がユニバーサル社に対して
法外な配給手数料を支払うように要求します。
これはウォルト・ディズニー本人の意図ではなかったようで
ディズニー社はこのユニバーサル社への要求を拒否しました。
これはこれで一件落着したようなのですがその後
チャールズ・B・ミンツがディズニー社の社員に対し
引き抜き工作を行います。
上記の通り、チャールズ・B・ミンツは
ユニバーサル社に法外な手数料を取ろうとしていたということも
あるので推測ではありますがディズニー社員にも結構いい給料を提示した
のではないかと思います。なんとなくこんな展開だっただろうなって予想できますよね。
そして、なんとこの引き抜きに大部分の社員が応じたそうです。
これはウォルトからしたら結構ショックだったでしょうね…。
逆に初めて起業した「ウォルト・アイワークス・カンパニー」の共同経営者であった
アイワークスはディズニー社に残ってくれたそうです。ここはなんかいい話ですね。
ディズニー社のリソースがごっそり削られてしまいましたが
これだけでは済みませんでした。
契約書上、ディズニーの人気自社キャラクター「オズワルト」は
配給会社の管理下に置かれていたことにより配給会社にとられてしまいます。
また当然ながら配給会社であるユニバーサル社も去ってしまい
ディズニー社の資産はほぼなくなってしまいました…。
新たな成功(ミッキーマウスの誕生)
ほとんど社員がいない状態でも頑張って仕事をしていた
ウォルトは新たな自社キャラクターを誕生させます。
それがミッキーマウスでした。
このミッキーマウスはオズワルトが奪われた1年以内に誕生しています。
そしてディズニー社はこのミッキーマウスが登場する映画を世に送り出していき
どんどん人気を集めていきます。
そして1930年代にはオズワルトを凌ぐ人気キャラクターとなり
ディズニー社は倒産することなく再建できることになったのです。
その後大成功を収めていったことは皆さんご存じかと思います。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
3度の就職と2度の倒産を乗り越えて
人の裏切りにもあった先に成功した
ウォルト・ディズニーはすごいですね。
ちなみに余談ですが日本の伝説の漫画家 手塚治虫は
ウォルト・ディズニーの作ったアニメを見て漫画家を目指したと
おっしゃっていたそうです。
そんな手塚治虫については以下をオススメしています!
また初期のころのミッキーマウスの作品は以下に収録されています。
初期のトーキーアニメとして有名な「蒸気船ウィリー」も収録されています。
また私の時代のディズニーといえばアラジンやリトル・マーメイドでした。
面白くて何度も観返した記憶があります。